「生きていればなんとかなるよ」
と
人を慰める時に人は言う。
いや、おっしゃる通り。
と今は思う。
ただ、
苦しみの渦中にいるとき、
その言葉こそが更に苦しみを加速させる時がある。
苦しいいものは苦しい
今でこそ、
息子の体調も上向き、
復学も果たしてはいるけど、
ここまでくるのに3年間を要した。
大枠でとらえたら、
復学に3年は良い方で
こんなことをいうものではないかもしれない。
しかしながら、
苦しい、つらいという感情は他人と比較するものではない。
苦しいものは苦しいのであって、
死にたいという気持ちが沸くのも
致し方ない。
なぜならば、生きているのが苦しいのだから。
竹内結子さんのこと
2020年我が子を置いて自ら星になってしまった
竹内結子さん。
もちろん、何があってそうなったのか、なんて、
部外者の私に知る由もない。
ただ
同じ母親として、
頼まれてもないのに、
子どもらを残して死ぬことへの想いなんかを
ぐるぐる考えていた。
ぐるぐる考えていくうちに、
ぼーっとクローゼットを見つめる自分がいた。
やばい状況
「クローゼットで死ねるんだ。」
「自分が死んだら、どうなるんだろう」
「みんなご飯の準備できるかな。野菜もちゃんと食べられるかな」
「みんな朝、起きられるかな。」
「保護者会はパパが行けばいいか」
「もう苦しい思いをしたくない」
「長男もつれていこうか」
やばい。文字にすると本当にやばい。
危ない状態だったのは明らか。
死ななくてよかった
死ななくてよかった
死ななくてよかった
死ななくてよかった
今はわかるよ。
生きていればなんとかなる
それは、心が安定していたら
まじ正論。
不安定な心だった場合は逆効果。
死ななかった理由
やっぱり、
私はあの子達を置いては行けない。
どこにも行けない。
あの子達の朝ごはん作らなきゃ。
保護者会にもいかなくちゃ。
それが理由。
生きていればなんとかなる
が理由じゃない。
死ななくてよかった。
今はこの一言につきる。
落ち着いている今なら、ね。
でも、死にたいと思ったあの瞬間のことも忘れたくないと思っている自分もいる。
決して褒められたものではないけど、
その瞬間、瞬間、めっちゃ一生懸命に生きようとしていたんだろうなと思うから。
矛盾しているけど、
一生懸命に生きようとし過ぎて、
苦しくなって、ここに存在していけなくなった。
なんだ、それ。
って思うけど
当時、
多分そんな感じ。
とは、だらしない人に対して怒った人が使うような言葉。
でも、
とは、
がんばりすぎるでもなく、
気を抜きすぎるでもなく、
良い加減で生きること。
それが大事だと今は思える。
そう思えるのは、
一生懸命生きすぎて、死にたいと思ったことがあるからこそ。
せっかく、平和な時代の平和な日本に生まれたのだもの。
戦国時代なんかに生まれたなら、
悲惨だぜ。まじで。
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