記憶障害体験
鬼だった頃の私と夫
息子が完全に学校に行けなくなるまでの間、
首の皮一枚つながったギリギリの状態で登校していた時期がある。
私立小学校に通っていたため、
電車を乗り継いで1時間程の登校時間。
息子は頭痛いっていってるのに、
「がんばれ」って、学校に送り出した、
鬼だった頃の
私と夫。
感染症じゃない限り学校に行くべき論
と学校の先生は言ってくれていたのに、
なぜそれが聞こえなかった?
現に、今覚えているのだから、
聞こえてはいたけど、
「こうあるべき」
つまり、
「学校には当然行くべき」
という考えが頭を占めていたのだろう。
このこうあるべき
っていう考え方、
誰が決めた?
それを言うなら、
体調悪いのに、登校すべきじゃないよね。
って、今なら100%そう思う。
当時は多少体調悪くても
学校には行くべき。
感染症でない限り、行くべき。(どやっ!)
と完全に信じ切っていた。
そんな中での行方不明事件
息子本人は言えなかったんだろう。
「体調が悪いから学校に行けない」と。
頭痛がする中で、学校に向け出発した。
学校に到着し、ずいぶんと時間が経過しているであろう時間に学校から連絡があった。
息子が学校に来ていない
ここで我に返る。
低学年までもっていたGPSはもう持っていない。
携帯電話も持っていない。
どこ行った。。。
沿線の駅、ひとつひとつ全てに電話をかけた。
探しに行きたいが、闇雲過ぎた。
どこに探しに行けばいいのだ、こういう時は。
しかも、私が探しに行っている間に
息子が帰ってくるかもしれない。
どうしよう
どうしよう
頭が痛くてふらついて、
ホームから転落・・・
最悪のことが頭をよぎる。
まさに行方不明。
警察にも連絡をいれた。
生きた心地がしなかった。
行方不明から5時間経過
結果、行方不明から5時間後
息子は
ひとりで家に帰ってきた。
鬼であったはずの私と夫、
帰宅した息子をさすがに叱りはしなかった。
叱りはしなかったけど、
どこにいたの?
とは聞いた。
息子は
と答えた。
俄かには信じがたいことだけど
息子は
この行方不明だった5時間のことを全く覚えていない。
そんなわけある?
嘘でしょと最初は思った。
5時間?
え?どういうこと?
その日は、無事に帰ってきたことだけで
胸がいっぱい。
それ以上聞かなかった。
翌日になった、改めて
事情を聞いても、答えは同じ
行ったことのない駅にいた。初めて行く駅。駅前に噴水があった。
気が付いたら最寄り駅帰ってきていた。
これを聞いた時点でも、正直、すぐには信じられなかった。
心療内科の先生いはく、それは記憶障害
後日、心療内科の先生にこの件を話した所、
と言われた。
普通にある???
えーーー??
メカニズムはわかっていないけど、
いわゆる記憶障害というやつらしい。
よく頑張ったと思います。無事に帰宅できて本当によかった。
無理はさせなくてもいいと思いますよ。
目が覚める鬼親
この行方不明事件があって、
私も夫もようやく少し目が覚めた。
と心から思えた。
本当に息子はギリギリの所で
登校できないと言い出せず、
親の顔色を伺いながら、
無理をしていた。
息子は
この日を境に登校できなくなった。
~すべき論廃止
学校に行くべき
頭痛をおしてでも行くべき
何が何でも登校すべき
それはすべて息子のため
あなたのため
息子のためなんかじゃ
決してない。
普通に学校に通うお母さんでいたかった
自分のため
だったのではないだろうか。
今、その時のことをこういう風に振り返っている。
行方不明事件のおかげで気づけたこと
行方不明記憶障害事件は、
生涯忘れることのできない出来事となった。
この事があったおかげで
それ程までの体調悪(頭痛は他者からその程度がわかりづらい)や、
彼自身怠けているのではなく、必死で登校しようとしていた気持ちに気付けた。
意味のある出来事だった。
以降、この話は息子とはしていない。
多分一生することもないだろう。
空白の5時間。
とにかく無事でいてくれたことに感謝して、
その後、自宅療養から、現在こうして復学できたことにも感謝して。
なんとも説明のつかない記憶障害という体験を通じ、
人の心とは奥深いものである、と改めて思う。
コメント